2007/09/25

旅する気持ち

ずっと楽しみにしていた映画「めがね」を見てきた。
わたしにも、あそこで暮らす才能があるかなぁ?うむ~。
どうしてここへ来たのか?とか、
どうして旅をするのか?とか、
普段はなにをやっているのか?とか、
なにも聞かないことは、「無関心」と感じるか「やさしさ」と感じるか。
かたくなに口をつぐみたいわけじゃないけど、人には言葉にしたくないこともある。
あそこで暮らすには、そこを解る人じゃないとだめなんだろうな。

映画の中で、マンドリンが出てきた。
マンドリン!欲しい!

すっきりとした夜空に、ぽかりと浮かぶグレープフルーツ。
友人と食事を済ませて満腹であったけど、ここはやはり団子を食わねば。
しかし蒸すのが面倒なので、白玉粉を買う。
夜風も気持ちよい。
今日はトム・ウェイツの「CLOSING TIME」が合いそうだな。

2007/09/24

リラクゼーション

ブロッコリーを至近距離で眺める。

自宅でできる森林浴。

ラーユーレディ?

餃子の皮を包む、というチマチマ工程がめんどくせーなーと思うのは、わたしがO型だからなのか、たんなるなまけものだからなのか。それはうっちゃっておくことにして、目からウロコが落ちる焼き方を知った。フライパンに皮をぺぺぺと広げておおきな円にして、そこへ餡をのせて、餡の上を皮で蓋する。特大のまるい餃子。ラーメンを食べるとき、れんげにミニラーメンをこさえながら食べるというあの行為をハゲシク嫌悪しているわたしには、このおおきな餃子がぴったりかんかん合点がいく。めんこのような皮を、めんこのようなまま、汗をかきながら食した。
ところで、血で性格判断ってどうなんだろ?血液型が自分を語ってしまうなんて、考え方によってはちとコワイ。科学的根拠はないのに「O型はおおざっぱ」とか、「A型は神経質」とか、そんな言われ方があまりにも定着していて、自分がまだなにものか分からない年頃からジワリジワリとすりこまれているような気がしないでもない。でも、わたしがO型であることに異議を唱える人は、いまだかつて出会ったことがない。それはなんか、嬉しい。

苺舎利別

プラム酒をいただく。数ヶ月前に同僚の方が会社の敷地内に生っていたプラムを拾って漬けたものを、お裾分けしてもらったのだ。あのだれも通らないような場所に生っていた果実なんて、ちょいと眉つばものじゃねーのかい?と疑っていたわたし。お酒があまりにもきれいな色に染まっていて、びっくりした。これがルビー色というのでは?ながめていると、夕やけ・海辺・白い砂浜・潮騒…次々流れるように思い浮かぶ。なにせ只今絶賛8月中ですからね。
風物詩カキ氷、その定番「苺シロップ」は、瓶詰めにされてお店に売られているのをよく見かけるけれど、じっさいに苺をゆっくり煮詰めてシロップを作ったらやはりうっとりするようなルビー色になるんだとか。だけど今となっては、まがい物であっても「市販の瓶詰め苺シロップ=氷イチゴ」というのが大半の人のイメージであって、赤色*号で染め上げて香料で味をでっちあげて、そうしてできたあの無果汁シロップじゃなきゃ納得できないかもしれない。となるともはや、ほんもの、にせもの、どっちが正しいなんてないんじゃないか?これが食べ物のことに限らず、音楽のことに及んでしまうと、もう明朝ズームイン!スーパーの時間までぐだぐだ考えてしまうこと必至。なんて、ちょっとデリケート人間を装ってみたが、なんともアマイアマイこのプラム酒は、すいすい飲めて危険だ。危険だぞ。

すいとんとちくわぶ 小林よしのりと生瀬勝久

小学校の時、同級生の女の子が書いた詩が今でも心に残っている。その子のお母さんがある日の夕飯ですいとんを作り、「戦争のとき食べるものがなくて、皆これを食べていたのよ」と言ったのだけれど、出来上がったすいとんを食べたらあまりにも美味しくて、こんな美味しいものを食べていたなら、むかしの人はちっともかわいそうじゃないと思った…という内容。
近所のお店で「すいとんの粉」が売られているのを見つけて、その詩をふと思い出した。そんなわけで、まだ細い紅あずまと、まだ旬ではないきのこを入れてすいとんを作ってみた。今年はそうめんだのひやむぎだのを食べる気がしなくて、あまっていたつゆの処理にちょうど良し。ほんだしの素も入れて、ばっちり(わたし的に)。「裸の大将」を見ながら、つい食い過ぎた。今寝たら牛になるんだな~…と山下清風に独りごちながら、ブックオフで買った小林よしのりの「いわゆるA級戦犯」を寝っころがって読む。これは本当なのか?あまりにも学校の教科書の内容と違うので、頭が混乱しそうになる。もう少し詳しく知りたいと思ったのが、「ハルノート」と東京裁判で判事を務めたインドのパール博士のこと。
印象に残った言葉
「深い淵は 一寸覗いても底は解らない
三井寺の鐘は 一寸撞いても本音は出ない」

継承

与謝野官房長官の耳が、好みの形だ。わたしは耳が小さい。そいでもって、顔の側面にぴたっとくっついている。なんとも存在感のない耳。だから、ダンボ耳の人が羨ましい。わたしのような耳は人相学でいうと、「人の言うことを聞かないので、良く言えばダマされにくいが、つまりは頑固者」だとか。当たっているかも。いやだなぁ。「豊胸手術」ならぬ「豊耳手術」というのがあれば今すぐチャレンジしたいくらいだ、と常日頃思っている。

顔に関しては、わたしは母親の影響をかなり受けている。この沖縄顔は、母 親の家系が徳之島で代々栄えてきたことを考えれば、さほど不思議ではない。まだ行ったことがない沖縄に、とても惹かれる。いま、石垣島出身の作家で池上永一の小説を集めてるのだけど、「バガージマヌパナス(我が島の話)」と「風車祭(カジマヤー)」は少女漫画化されていて、これがもう本当に面白くて面白くて(とくにオバァの描写は絶品!)、いつか友人に古本を送りつけてしまったくらいツボに入った。沖縄といえば、海や自然がきれいで、食べ物が美味しくて、夏が長くて、米軍基地があって、琉球音楽があって…くらいがそれまでのわたしの知識だったのだけど、漫画を読んで「ユタ」「ニライカナイ」といった沖縄のディープな部分をドキドキハラハラ笑いながら知ることができた。
「あたしは**を先祖に持ち、大樹になった家を次の子孫に余すところなく伝えて、枯らすことのないよう申しつける。それであたしは自らの死ぬ場所を先祖からもらえるのさ。あたしは常に先祖とともに生き、そして子孫に送られる」(「風車祭」より)

あたりきのこと。
あたりきのことに感謝をする。

小さい耳ではあるけど、アンテナは張りめぐらせている。
伊勢丹のアートギャラリーで水木しげるの絵画を見にいった際、隣にいた親子が「ぬりかべの奥さんは、わりと美人なんだよね…」と話していたのをキャッチした。聞きまちがえたかと思ったが、現在のぬりかべは本当に妻(ピンク色)がいるようだ。素敵!!

秋 薫る

空が高い。
残暑は続いても、あきらかに季節が移り変わっている。いま、まさに。
この境目を楽しむのが風流だ、と兼好法師に習った。うむむ。
コンビニで、どっしりシェアを占める「ア・ラ・ポテト」に押しやられていた「夏ポテト」最後のひとつ。
境目、ここに見たり。